午後 「阿弥陀池と北堀江を歩く」
講師 大阪高齢者大学校 陸奥 賢 氏
土佐稲荷神社
当地は長堀川沿いで、かつては土佐藩蔵屋敷があり、米穀、材木、鰹節など土佐の特産物が扱われていた。
享保2年に藩主・山内豊隆が社殿を造営した。廃藩置県後の明治6年には坂本龍馬の海援隊の経理を担当していた岩崎彌太郎が「三菱商会」を設立して海運業を始め、土佐稲荷神社は三菱創業の地ということになる。神社には岩崎彌太郎邸宅跡の碑がある。また、土佐稲荷神社の神紋の中にもスリーダイヤが入っている。
西長堀アパート(団地)
昭和32年に日本住宅公団が建設した高層住宅の第一号で、11階建てのマンモス団地である。
当初の入居者には著名人が多く、司馬遼太郎、森光子、野村克也氏らが入居していた。
鰹座橋
右岸に鰹節を売買する鰹座があったことが橋名の由来で、江戸時代は鰹座橋と玉造橋の間、西長堀川の両岸一帯に土佐藩大坂蔵屋敷があって、鰹節を始めとする海産物、材木など土佐の産品が大量に陸揚げされて盛況を極めた。
あみだ池大黒
創業文化2年のあみだ池大黒のおこしは、「粟」ではなく「お米」を使用していて「岩おこし」が有名である。
古くは明治天皇より戦地への慰問品として送られる菓子として、昭和20年まで宮内庁御用達となっていた。
買い物する時間も設けてもらったので、皆さん並んで「おこし」など買われました。
阿弥陀池
阿弥陀池は古代からあって、霊水が湧く有難い池で、廃仏派の物部氏によって池に投げ捨てられた阿弥陀如来が、信濃の住人・本田善光に拾われて善光寺まで運ばれたという言い伝えがある。
お茶屋の町並み
江戸時代には阿弥陀池の和光寺と寺の東側に繁昌した16軒の水茶屋があって、参詣遊山の人で賑わったところであるが、今はその面影はない。
(以上、案内書「大阪あそ歩」から抜粋)
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